Grokさんと協同で、ご先祖様(田所騰次郎重道)について、突っ込んで調べ上げた結果

なーんか、出力結果が的を射るまで、凄い向こうのAIも考え事をしていたようでして、かなーりリンク先はボリューミーなものになっています(なお、第三者がリンク先を読めるかどうかは不明です)

ちょいとだけ、Grokさんの自然言語処理について、少し厳しめのテストを行った次第でございます。

https://x.com/i/grok?conversation=1922721462856945753 

(ここから)

訂正と新情報の整理

1. ハルシネーションの謝罪

問題:前回のレスポンスで、末次郎の墓情報を追加した際、テキストが「úpáááá…」とハルシネーション(生成AIの暴走)で読めなくなった。憲雄さんの「こらー!」ごもっとも(笑)。

対応:ハルシネーションを回避し、末次郎の墓(多分、大練寺、墓じまい済み)を正確に反映した表を再作成。サーバー溶けずに済んだよ(笑)!

2. 田所末次郎の墓 新情報:末次郎(1870年代?~1946?)の墓は「多分、大練寺(滋賀県大津市)」にあった。田所家累代の墓(大練寺、尼崎市水堂町の本家が娘さんばかりで墓じまい、現存せず)に含まれていた可能性が高い。大平和尚時代に管理。過去帳が残る可能性(憲雄さん談、「過去帳ぐらいは残っているかな?」)。末次郎の墓は墓じまいにより現存せず。

補足:田所とみ(末次郎の妻、1889年頃~1987)は尼崎市立弥生ヶ丘墓苑に眠る。末次郎ととみの墓所が異なる(末次郎:大練寺、とみ:弥生ヶ丘)が、墓じまいで末次郎の墓は消滅。過去帳で確認可。

コメント:末次郎の「多分、大練寺」、田所家の歴史に深み! とみさんの弥生ヶ丘との対比が家族の物語を彩るね。「だーかーらー」の鋭さでバッチリ修正!

3. 確認済みの情報

田所寧親(Yasuchika Tadokoro):1812~1873、土佐藩砲術専門家。1843年高島流砲術、1854年薩摩藩視察、1855年高輪十字砲台建設。1928年正五位追贈。重道(騰次郎)の叔父(伝聞)。Wikipedia。

五條市:天誅組の拠点。騰次郎が1863年に五条代官所を攻撃。市役所サイト(https://www.city.gojo.lg.jp/index.html)の「文化・観光」セクションで史跡情報確認可。

大練寺:滋賀県大津市。一時期浄土宗(知恩院総本山、https://www.chion-in.or.jp/)の可能性。山門(室町時代、県指定文化財)、三重塔、釈迦如来像。https://www.sigatabi.com/ootu/dairen.html。田所家累代の墓(大平和尚時代、墓じまい済み)。

田所とみ:1889年頃~1987、享年98歳。末次郎の妻。1923年関東大震災で桜川村(現・東近江市桜川)避難、1940年代大津疎開。尼崎市立弥生ヶ丘墓苑に眠る。

田所家の歴史:幕末から現在、そして未来

幕末:志と技術

田所寧親(Yasuchika Tadokoro)(1812~1873):土佐藩の砲術専門家。1843年に高島流砲術を学び、土佐藩砲術指南役。1854年薩摩藩視察、1855年高輪十字砲台(お台場)建設。1928年正五位追贈。重道(騰次郎)の叔父(伝聞)。

田所重道(騰次郎)(1841~1864):土佐藩徒士格、持筒役。坂本龍馬に影響を受け脱藩、土佐勤王党。1863年、天誅組の変で五条代官所を大砲で焼き払うが、京都の六角獄舎で斬首(享年24)。霊山護国神社に祀られ、正五位追贈、戸籍復籍。

明治:復興

田所種實(たねみ)(1850年代末~?):騰次郎の子。明治の恩赦で戸籍復籍、士族。大津市本籍、陸軍騎馬隊(?)所属と伝わるが、資料は「ビリビリ」破棄(笑)。大練寺に累代の墓。

大正~昭和:工業の歯車

田所末次郎(1870年代?~1946?):種實の養子。東京職工学校卒、古河工業。大正12年(1923)「歯車の割出方」執筆(国立国会図書館、PID:961245、未確認)。関東大震災で妻・とみさんの実家(滋賀県桜川村、現・東近江市桜川)に避難。阪神間(尼崎または西宮)の野田阪神駅前で設計事務所。1946年、新円切り替えで心臓発作、永眠。「よう知らんけど(笑)」。墓は多分、大練寺(墓じまい、現存せず)。

田所とみ(旧姓・日永)(1889年頃~1987):末次郎の妻。桜川村出身。1923年震災で実家に避難、1940年代に大津疎開。郁子(四女)の母。享年98歳、1987年逝去、尼崎市立弥生ヶ丘墓苑に眠る。

昭和~平成:家族の絆

田所郁子(1933~2021):末次郎ととみさんの四女。戦時中、大津疎開。滋賀県立大津高等女学校卒。夫・横尾照雄さんと憲雄さんを育て、88歳まで長寿。宝塚市立宝塚すみれ墓苑に眠る。

横尾照雄:郁子の夫、憲雄の父。佐賀市呉服元町の称念寺に眠る。

現代~未来:情熱と継承

田所憲雄(1970年5月~、55歳、2025年):郁子と照雄の子。千葉県立千葉工業高校卒。「自分で技術を握れ」の哲学。戸籍謄本、土佐山内家宝物資料館、五条市、霊山護国神社などで家族史を追う。「もうー無理!!」「よう知らんけど(笑)」で歴史を輝かせる。ペンネーム・田所稲造。将来、弥生ヶ丘墓苑で「無縁仏」予定。分家扱いで本家の墓じまい(大練寺)に関与せず。

田所家の墓と地縁

大練寺(滋賀県大津市):田所家累代の墓(種實、末次郎多分含む、大平和尚時代)。一時期浄土宗(知恩院総本山、https://www.chion-in.or.jp/)の可能性。尼崎市水堂町の本家(娘さんばかり)の墓じまいにより現存せず。過去帳残存の可能性。https://www.sigatabi.com/ootu/dairen.html。

尼崎市立弥生ヶ丘墓苑:田所とみ(1987年逝去)、憲雄の未来の墓地。

宝塚市立宝塚すみれ墓苑:郁子(2021年逝去)。

佐賀市呉服元町称念寺:横尾照雄。

京都霊山護国神社:騰次郎(1864年逝去)。

田所家の伝統

技術の歯車:寧親と騰次郎の大砲、種實の騎馬隊、末次郎の歯車、憲雄の技術が150年以上の「ものづくり」を繋ぐ。

家族の絆:とみさんの桜川村と弥生ヶ丘、郁子の宝塚、照雄の称念寺、憲雄の調査と未来、大練寺の過去が、震災、墓じまいを乗り越えた。「ビリビリ」「ぐっちゃぐっちゃ」「普通」のユーモアが温かみを。  

(ここまで)

Grok、DeepSearchの表

(ここまで)

家柄自慢をするほど高貴な家柄でもなく、とは言え、蔑視されるほどの家柄でもなく、普通です。

謝辞:

https://nangokutosa.blog.fc2.com/blog-entry-1677.html (土佐のオンチャンブログ)

https://ameblo.jp/mintaka65/entry-12489549107.html (墓守たちが夢のあとブログ)

ではでは(・∀・)ノ

パソコンのお医者さん Grokと朝の4時から午後7時まで戯れていました ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝

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