何だか、これが長崎ではなく小倉で起こっていたら、一体僕はどうなっていたのだろう。そして、広島市に残された元女学生の皆さんを、こうして映像を見る度に思うんです。命の、信じられないほどの、その軽さと、その重さについて。
復興の音 ~チンチン電車と女学生の80年~(広島テレビ放送)
多くの人が、焼け出されて亡くなって行った中で、生還した人もおり「原爆の毒が移る」と差別や偏見を持たれていたため、口に出せなかった人もいました。
8月6日、広島市は灰燼に帰しました。それでも3日後には、女学生は残された電車で運転を始めました。
田所憲雄 拝
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