年老いて、全てを失ってもなお残るもの、それは真心なんだろうと思うようになった。
四角四面のぶっきらぼうで生きてちゃいけねえ。それは違う意見や信仰その他あらゆるものを、自分が譲れない境界線まで譲って、他人の意見を受け入れることだろうとおれは思う。
それを踏まえて「やはりおれには、これ以上は譲れない境界線がある」とハッキリ相手に伝えることだろうと思う。
何でもそうだ。違う意見だったり、信仰その他あらゆる物事について言えるんだろう。「ここまでは譲れるけど、これ以上は譲れない」という境界線、誰にでもあると思う。
幸か不幸か、おれには守るべき家族も財産もない。守るべき自分の会社もなければ、肩書もない。55歳オジンになってわかった。家族を持てば、その家族に先立たれるかも知れないし、その家族は独立したり、嫁いだりするかも知れない。財産だって使えば減る。騙されればカネと名誉は一瞬にして失う。肩書も社名も、会社を辞めた途端、おれの名刺から消えて失くなった。
おれは貧乏な失敗者の子だから、入るのは市営の無縁仏なんだろうと思う。その予定でいる。
若い頃は「誰かの役に立ちたい」「誰かのために助けたい」「誰かをギャフンと言わせたい」「誰よりも成り上がってみたい」って思うもんだ。でも、55歳オジンになってみろ。若い衆に逆に助けられることも、往々にしてある。若い衆のポスト、若い衆の技術、若い衆の力にオジンは助けられる。
もうやがて60歳オジンになるのだから、若い衆を信じることは素晴らしいことだ。若い衆を否定してはいけないよ。でも、侮辱されたり、存在を脅かされてまで、若い衆に振り回されてはいけないよ。
老いては人に助けられ、そう思うよ。おカネでお礼することも、若い衆に何かを施せる身分でもない余生が待っている。託してみて、任せてみて、もしも若い衆に助けられたときには「ありがとう」とニッコリする。
それだけでいいと思うし、それぐらいしか、もうおれには出来ない。人間、元気なようでいて、ある日突然亡くなるのかな? って思う。
おれには一つだけ自分の信念……いや、ポリシーがある。「何も持たずにここへ生まれて来たから、何も持たずにこの世から出ていく」ってね? 立派なお墓を建てたって、立派な戒名を付けてもらえたからと言って、自分ではわからないし、自分では見られないものだから。おれの死後に、おれが評価されたって、自分自身としては、嬉しくもなんともない(笑)
それに、あの世に持って行けるものには限りがあるように思う。物も、学位も、現金も、金塊も、預貯金も、株式も、美貌も、名声も、あの世には持っては行けないと思う。この世に置いていけて、あの世まで持ち込めるものは、真心と思い出だけなんだろうって、最近になって思うようになった。
それだけでいいんじゃないのかな? って、最近になって思うようになったね?
ではでは(・∀・)ノ
パソコンのお医者さん 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり ネットウイングス 代表 田所憲雄 拝
0コメント